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2009.10.23 Friday  | - | - | - | 

人柄のよしあしは、感謝の度合いに比例する。

このブログにも時々コメントを寄せて下さる木蓮さんという方のブログ(「magnolia〜日々是好日」というブログです。http://magnolia02.blog9.fc2.com/)の記事を読んでいて、思うところがあったので、きょうはそれについて書きたいと思います。

その記事によりますと、えーと、あるラジオ番組で論争になったそうなのですが、あるお母さんが、学校に、「給食代を払っているのだから、子供に『いただきます』と言わせるのはやめてほしい」という手紙を書いた、とか。

そして、木蓮さんは、「いただきます」とは、「命」をいただいている、ということなのではないか、ということを書かれていました。

それを読んで、ついついコメントを入れたくなり、こんなコメントを寄せてみました。


私は一人暮らしで、一人で食事をとる頻度が高いのですが、つい忘れちゃった時以外は、一応「いただきます」と言って軽く手を合わせます。
それは宗教的な行為かもしれませんが、むしろ、人間として、そのくらいの宗教性は必要なのではないかと思うのです。
「いただきます」と手を合わせる時、それは単なる習慣になってしまっている面もありますが、基本的には、感謝の気持ちを形にする、という考えでやっているつもりではあります。
食べ物となってくれた動物や植物たちへの感謝、それを育ててくれた人、収穫してくれた人、あるいは、運んでくれた人、スーパーの棚に並べてくれた人、などなど、感謝すべき対象は限りがありません。
その全てにいちいち思いを馳せるわけでもないのですが、そうした感謝の思いは忘れてはならないと思うし、子供たちにも教えてあげるべき考え方ではないかと思います。



いや〜、熱いねぇ、ちょいハピ。
……と、自分を茶化している場合ではなく。

やはり、気になるのは、その、学校に手紙を書いたお母さんの思想というか、ものの考え方、です。
お金を払うか払わないかの問題ではないですよね。
つまり、人から何かをしてもらった時、代金を払った場合は当たり前だからお礼は言わなくてもいいが、代金を払っていない場合はありがたいからお礼を言う、ということになってしまうではないですか。
実際、そのように考えているのかもしれない、と思える人を、いろいろな場面で目撃することもあります。
たとえば、買い物をしている時などに、お店の人に対して不必要に(と思える)横柄な態度をとっている人、とか。

しかし、想像してしまうのですが、仮に、そういう人が、年を取り、病気になって入院した場合、その人は、医師や看護師に対しても、そういう不必要に横柄な態度をとるかもしれません。
そうすると、当然の帰結として、医師や看護師は、その人を嫌い、仕事だからしかたなく、いやいや接するかもしれません。
そうすると、その人は、その医師や看護師を責め、お金の力にものを言わせて(ここでは、その人はお金持ちと仮定して)、医師や看護師を交替させるとか、転院するとか、何か手を打つかもしれません。
でも、いくら人を替えても、病院を替えても、その人自身が横柄であり続ける限り、周りの人は、その人に対して冷たい態度をとってしまうんじゃないだろうか。

変な想像かもしれませんが、時々、そんなことを思ってしまうのです。
自分自身、そういった形で、年老いて入院したりした時に、周りの人たちから愛され慕われる老患者となれるだろうか、と自問してみたりもします。

何が言いたいかというと、結局のところ、最後に「ものを言う」のは、やはり、お金でもなければ、それ以外の何かの力でもなくて、その人の人柄そのものなのではないか、と。
(もちろん、お金なり力なりも、ないよりはあったほうがいいと思うので、それらを否定するわけではありませんが。)


実を言うと、私自身は、「感謝」ということの薄い人間だと自覚しています。
だからこそ、逆に、常に心掛けないといけないなぁと自戒している次第。

変な話ですが、以前、このブログで、「前は手指がすごく荒れやすかったけど、今は大丈夫になった」と書きましたが、今でも、時々、少し荒れてしまう時があります。
そういう時は、たいてい、周りのいろいろな物事に感謝が足りなくなっている時なのです。
だから、私にとっては、手指の荒れ具合が、感謝の度合いのバロメーターになっているというわけ。

人柄のいい人は、決まって感謝に溢れています。
私の人柄の悪さ(自覚はあるのですよ、みなさま。なかなか直せないのですがね)も、感謝の薄さに起因しています。
人柄というものの大切さ、そして感謝ということの大切さ、これは、もっともっと語られるべきことなのではないでしょうか。

……と、あくまでも熱く語る、今日もまた明け方なのでした。


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2006.01.30 Monday 04:30 | comments(5) | trackbacks(2) | 人生・幸福etc. | 

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2009.10.23 Friday 04:30 | - | - | - | 
「感動創造」 (2006/01/30 11:36 AM)
ちょいハピさん

モーツァルトコメントありがとうございます。

「感謝の次に、感動は生まれる」にも共感いただき嬉しく思います。

この記事にもあるように、手を合わせるのは、宗教的な意味ではありません。「感謝の気持ち」ですよね。

当店もスタッフに教育しているのですが、反発されることもあります。
そんな時には、「感謝の気持ち」のためですよ。
だけど、気持ちを持つって口で言っても、なかなかできることではないので、まずは「形から入るんだよ」。手を合わせる形を続けることで、「気持ち」(心)に至るんだよ。
と説明します。

それでも理解してくれる人間と、否定的な人間といますが
大切なことなので、続けていこうと思っています。

PS.二重TBは気にされないで下さいね!
ちょいハピ (2006/01/31 1:45 AM)
「感動創造」さん(あるいは城北さん?)、コメントありがとうございます。
やはり、「大切なこと」は、理解されてもされなくても、言い続けなくてはいけないなぁと私も思います。
その時は理解されなくても、いつか、ふと思い出して、「あの時は分からなかったけど、今思うと、そうだったかもな」と思ってくれるかもしれませんし。
深いコメントを頂けて嬉しく思います。
ありがとうございました。
ちょいハピ (2006/02/26 8:47 PM)
冒頭の木蓮さんのブログですが、記事を書いた当時、リンクの張り方が分からず、“このブログの画面の右下にある「LINKS」から飛んでいけるので、みなさまもぜひお訪ね下さいませ。”などと書いてありました。
その後、ようやくリンクの張り方を覚えた「ちょいハピ」でございます。
ゆえに、そのすっとぼけた文章は削除致しましたが、そのような愚かな自分であったことを記憶に留めおくために、というか、単に面白いから、コメントとして残しておきます。
木蓮 (2006/02/28 10:06 PM)
老婆心ながら・・・。
リンクの貼り方を覚えられたちょいハピさんに、もう一歩の努力を強要します、わたし。
わたしのブログのトップにリンクを貼ってくださっているので、そこから来られた方は「え〜〜と、ちょいハピさんの書いてた記事はどこだ?」と、わたしのブログの中で迷子になる恐れがあります。

元記事にリンクを貼っていただけると、探す手間も、迷子になる恐れも無くなります。

元記事のURLは
http://magnolia02.blog9.fc2.com/blog-entry-195.html
です。

今後は、こういった参照リンクのない記事からのトラックバックはFC2の方で撥ねられるようですので、お含みおきください。

今後とも、よろしくです(^^)
ちょいハピ (2006/03/01 2:01 AM)
木蓮さん、いつもありがとうございます。
リンクを張った先が木蓮さんのブログのトップページなのは、この記事を読んだみなさまに紹介したいのが、ここで取り上げた特定の記事だけだったというよりも、むしろ、木蓮さんのブログそのものだったからなのです。
どうぞご理解下さいませ。
トラックバックに関しては、その後、木蓮さんがブログの中で書かれていた内容を読ませて頂きましたので、一応の認識は持っているつもりでおります。
今後とも、気になる点等がございましたら、遠慮なく、ビシバシと(!!)ご指導下さいますよう、お願い申し上げます。









「いただきます」 何を「いただいて」いるのか?
いつも、何かを考えさせられるきっかけであるtakoさんのブログでこんな記事を見た。 「『いただきます』って言ってますか?」について考える きっかけは、永六輔さんのラジオ番
| magnolia〜日々是好日 | 2006/01/30 7:58 AM |
Iさんについて
昨年から、私は「老子」の翻訳に取り組んでいる。 それがもうすぐ、本になる。 担当者のIさんは、年のわりに老成していることと、字があまりうまくないことを除けば、 (別に除かなくてもいいのだけれど) 私がこれまで会った編集者のなかで、 もっとも優れた編集
| 渋谷ではたらく女社長〜私が世界を変えていく! | 2006/02/03 4:14 PM |