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2009.10.23 Friday  | - | - | - | 

父の手術、母の述懐

子供のころ、父が入院して手術を受けたことがある。

といっても、命にかかわるような病気ではなく、入院といっても、2、3日のことだったように思う。

ただ、それが私の幼いころの記憶なのか、あるいは、実は私の生まれる前の話で、あとから聞いたことなのか、その辺が定かではない。

そのくらい大昔の話。

いずれにせよ、父は、何日か入院し、さほど大がかりではない手術を受けた。

そして、──この話は、ずっとあとになって母から聞いたのだが、──術後、血が止まらなくなってしまったので、母は看護婦さん(呼称は当時のママ)に、どうしたらいいか尋ね、その看護婦さんの指示に従った。

ところが、しばらくして、お医者さんが来て、「駄目じゃないか、こんなことしたら!」と母に怒った。

その看護婦さんは、すぐそばで、真っ青になって震えていたそうである。

母は、「だってその人がこうしろって言ったから」なんていうことは言わなかった、のだそうだ。

結果的に、大事には至らなかったからよかったが、母がその看護婦さんを、いわばかばったことは、正しかったのかどうか、私には分からない。

その看護婦さんにとって、その出来事は、どんなふうに記憶されたのだろう。

生前の母は、確か、「お父さんには言ってないんだけどね」と言いながら、その話をしてくれた、ような気がする。

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2006.10.11 Wednesday 00:47 | comments(3) | trackbacks(3) | 健康・病気・命 | 

王貞治監督の手術成功に思う、21世紀的「腹腔鏡手術」。

少し遅れてのコメントになりますが、王貞治監督の胃の手術が成功したとのニュースを新聞で読みました。

最近よく聞く、「腹腔鏡手術」というやり方で行われたとか。

「腹部に数カ所穴を開けてカメラなどの器具を入れ、モニターを見ながら操作する」のだそうです(7月19日付け産経新聞より)。

この方法だと、手術後の快復も早く、また、傷も小さくて済むとか、いろいろメリットが大きいようですね。

今後、外科手術の主流になっていくのかな?

極めて21世紀的な方法のように思えます。

私も、万一、何か手術を受けることになったら、この方法がいいな。

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2006.07.25 Tuesday 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 

新谷弘実「健康人生のコツ」in「ザ・リバティ」

前に、『病気にならない生き方』という本を紹介したことがあるが(新谷弘実『病気にならない生き方』の影響かも?)、この著者が、今、「ザ・リバティ」という雑誌で記事を連載している。

「ドクター・シンヤの健康人生のコツ」というタイトルで、最新号では、「私がエンザイムに注目する理由」という内容。

何やら、
「生命活動に欠かせないと言われる体内酵素のエンザイム。
これに注目すると、普段の生活や食習慣を調えて
病気を予防する必要が、よりいっそう見えてくる。」

とのことである。

で、エンザイムの基本となる「ミラクル・エンザイム」なるものがあるそうで、それを体内にキープするためには、
,茲た事
△茲た
正しい排泄
づ度な運動
ダ気靴じ撞柬
Φ拌・睡眠
Ь个い塙福感

という7つのキーワードが大切なのだとか。

ふむふむ、ふ〜むふむ。

……最近、体調が今一歩すっきりしないのは、ここに原因があったのか!?

Ь个い塙福感だけは、ばっちりな気がするのだが(^o^)

どうも、それ以外の6項目が、なっちゃないような気がする(^_^;

で、私の周りで、近ごろ、やたらとみんな水を飲んでるのよね〜。

もしかすると、△茲た紂△鮗汰しているのかもしれない。

私も、まずその辺から始めてみようかな♪

ちなみに、この「ザ・リバティ」という雑誌、私はかなり前からず〜っと愛読しています。

大昔、今は亡き景山民夫の小説『時のエリュシオン』が連載されていた頃から既に。

時のエリュシオン
時のエリュシオン
景山 民夫

これも、かなりスケールの大きな、時空を超えた愛の物語、だった。

……「リーグ・オブ・レジェンド〜時空を超えた戦い」(ショーン・コネリーin映画「リーグ・オブ・レジェンド」)もいいのだが、この『時のエリュシオン』も、ハリウッドあたりが映画化したら、かなりの大スペクタクルになると思う。

もちろん日本で映画化してもいいのだが、いずれにしても、すごくお金がかかりそうな気はする(^_^;

ま、ちょっと話がそれましたが、健康生活は大事だよね、ってことで!

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2006.07.11 Tuesday 00:35 | comments(2) | trackbacks(2) | 健康・病気・命 | 

赤羽みちえ「のんびりいこうよ」(産経新聞)〜母を看取る時

産経新聞で、毎週水曜日、「のんびりいこうよ」という漫画が連載されている。

赤羽みちえという漫画家さんが、脳梗塞で体の不自由になった母親を介護する日々をつづった8コマ漫画である。

時にユーモラスに、時にほのぼのと、時に切なく、また時にはやり場のない怒りに駆られながら、日々の出来事や思いが描かれる。

主婦業、漫画家業、さらに母の介護──。

加えて自分自身の健康状態も万全ではない。

そんな中で、精一杯に母を介護する彼女の姿に、「大変だなぁ、よく頑張っているなぁ」と、頭の下がる思いでいつも読んでいた。

彼女に共感できるのは、たぶん、「自分なりに頑張ってはいるけれど、必ずしも充分にはできない」という悔しさがにじんでいるからではないかと思う。

先週の、6月21日(水)の漫画では、「10日ほど前に母が亡くなった」と書かれていた。

8コマの中に、やはり、「やるだけのことはやったつもりだけれど、でも、本当に充分だったと言えるだろうか?」という無念の思いがにじんでいるように感じられる。

はたから見ると、彼女は本当に親孝行だったし、母のほうも、それをどんなにか喜び、感謝もしていたはずだと思うのだが、本人にとっては、なかなか納得のいかないものなのだと思う。

家族を亡くした人は、往々にして、「もっとしてあげられたはずなのに、できなかった」という後悔に駆られる。

8年前に母を亡くした時の私は、しかし、この漫画の場合とは少し違った。

今も、亡くなった母を思うと、心底、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

私は、この漫画のように、精一杯のことができたわけではなかった。

というか、むしろ、はっきり言って、何一つ、そう、本当に何一つとして、してあげることができなかった。

母は今、きっと成仏してくれているに違いないと信じてはいる。

でも、母を思う時、いつも「ごめんね、お母さん」と呼びかけずにいられないのだ。

この6月21日(水)の「のんびりいこうよ」は、「ホントにさみしい……」という述懐で締めくくられているが、この言葉に深く共感する人は、私のみならず、日本中、いや世界中に数えきれず存在することだろう。

たとえ、あの世の存在を信じ、生命が永遠であることを信じてはいても、やはり家族との死別は悲しいものだ。

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2006.06.26 Monday 01:23 | comments(4) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 

またまた風邪でダウン。

どうもいかん。

またまた風邪でダウン。

で、寝込みながら──

昔(というか、少し前)の「Gの嵐!」とかを観たり。

アイスを食べたり。

チョコレートを食べたり。

菓子パンを食べたり♪

ほぇ〜!

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2006.05.12 Friday 02:36 | comments(4) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 

「崖っぷちの小児医療」(産経新聞)を読んで

産経新聞に、4月17日から今日まで5回連続で、「崖っぷちの小児医療」という記事が連載されました。

主旨としては、初回のリード(っていうんでしたっけ? 違うかも……??)の部分を引用しますと、こんな感じ。

平成十一年八月、働き盛りの小児科医が勤務先の病院屋上から飛び降り自殺した。
背景には、小児科医の過酷な勤務環境があった。
それから七年近く。
勤務医の長女はこの四月、小児科医を目指して研修医としての第一歩を踏み出した。
この間に小児科の人手不足と激務は改善されたのだろうか。
「たらいまわし」が指摘された小児救急の現場は変わったのだろうか。
五回にわたって、小児医療の課題を追う。(飯塚隆志)


詳しくは、こちら↓を参照して頂ければと思います。

Sankei Web ゆうゆうLife

(どうも、第4回の分が抜けているようですが、その内容については、この記事の中でも少し触れたいと思います。)

小児科医(や産婦人科医)のなり手が減ってきている、ということは、さまざまな場面で耳にしていましたが、実際、この記事を読んだところでは、想像していた以上に厳しい状況のようです。

特に、第4回の、
「コンビニ化」する救急医療
軽症でも来院…患者急増で医師疲弊

という記事を読んで、医療者の方が本当に気の毒になりました。

でも、患者の側にも、必ずしも責められない面もあるようです。
記事の中に、こんなくだりがあります。

核家族化で「おばあちゃんの知恵」が伝わらなくなった背景もある。
(中略)小児科部長は
「子供のちょっとした病状を心配して、親は駆けつける。
急患で一番多いのは発熱。
発熱を二日、三日と放置するのはよくないが、一日なら待てる場合が多い」
という。
「おばあちゃんの知恵」があれば、
「もう少し様子を見よう」
となるわけだ。


そこで、その「おばあちゃんの知恵」を補完するものとして、日本小児学会は、厚生労働省の研究班と共に、このようなサイトを立ち上げたそうです。

こどもの救急──おかあさんのための救急&予防サイト

ここで、該当項目をチェックすると、病院に行くべきか、行かなくても大丈夫かの判断が示され、さらに、看病のポイントなども分かるようです。

これは素晴らしい試みだな!と思ったので、紹介させて頂きました。
確かに、「おばあちゃん」がいない家で、小さな子供が熱を出したりしたら、親としてはうろたえそうですからね〜、このサイトはお役立ちかもしれませんぞよ!

それで、5回連続の記事だったわけですが、1〜3回までは、小児医療の「崖っぷち」ぶりが滔々と語られて、けっこう暗澹とした気持ちになったりもしました。
でも、第4回で、そうしたサイトが紹介されて、少し希望の光が見えてきた気がしました。
さらに、第5回では、大阪府での、「小児の救急患者を一カ所に集約して受け入れる、こども急病センター」の試みが紹介されて、ますます希望が湧いてきました。

そこで、また第1回に戻るわけですが、過酷な勤務環境の中で自殺された小児科医の娘さんが、小児科医を目指してこの4月に研修医になったという話。
そこに載っている写真、ネット上でも見ることができますが、ベッドの上の赤ちゃんを見つめる彼女の笑顔の美しさ、本当に救われる思いがします。

彼女のお父さんのような残念な出来事が繰り返されないために、システム的な面で改善しなくてはならない部分もあれば、患者の側が気をつけなければいけない部分もあるのだと思います。

尊い志を持った素晴らしい医療者の方々が、道半ばにして力尽きるようなことのないように、医療者も患者も共に幸福になれるように、祈ってやみません。

そのために、このすっとぼけた自己満足ブログのささやかな記事が、少しでも役に立つことができたならば、そりゃもう、「ちょいハピ」どころの騒ぎではありませんことよ!
そう、それこそ「がばハピ」(がばい〔=すごい〕ハッピー、の略)なので、ブログ名も変更を余儀なくされる、かも……!?

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2006.04.22 Saturday 00:58 | comments(4) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 

風邪からの快復期という幸福

いや〜、おかげさまで、風邪のほうは順調に快復しつつあります。
──ん?
「風邪が快復する」って、日本語として変?
「風邪から快復する」が正しい?
──などということも脳裏をよぎりつつ、まあ、細かいことはいいじゃないか、とりあえず快復しつつあるってことは確かなんだから!と自らに言い聞かせる丑三つ時でありました。

しかし、あれですなあ、風邪からの快復期って、なんてハッピーなのかしら!と、いつもながら思うわけです。
何となく、まだ少しだるさが残っていたりするのも、「な〜んか、ほわっとしてて気持ちい〜い!」とも思えるし。
つい昨日までの、もう起き上がるのも億劫なぐらいの、「このまま死ぬんじゃないか?」ぐらいの寝込み具合からすると、嘘のように、立って、歩いて、動ける自分が嬉しいし。
それに、食欲も嫌というほど旺盛で、何を食べてもおいしいし。
むはっ!
……なので、風邪のあとって、気をつけないと、ちょいハピならぬ、ちょいデブになりかねないのよね〜。
ふぬっ!

しかし、あれですなあ、風邪薬というものについて、かねてより疑問なのですが、あれって、大人一回3錠とかいうけど、大人にもいろいろあるわけで、たとえば155傳苅記圓凌佑發い譴弌■隠牽悪傳牽悪圓凌佑發い襪錣韻如
それらの人々が、みな同じ3錠でいいのだろうか、と、いつも疑問がよぎるわけなのよ。
私なんか、中学生の頃からそんなに体格変わってないし、2錠で充分なんじゃないか?とか思いつつ、念のため3錠服用してはいるが。
そこんとこ、どうなんでしょうか!?

しかし、あれですなあ、正直なところ、薬って一種の毒だなあというのは時々思う。
子供の頃、病院でもらった風邪薬を飲んで気持ちが悪くなったこともあるし、今でも、それに類することはなくもないし。
いや、毒だからよくないと言いたいわけでは必ずしもなくて、一種の毒性ははらみつつも、特定の病気には有効なのだろうから、そこは知恵を使いながら、利用していかないといけませんよなあ、という話ですわさ。
(語尾が限りなく変なのは、きっと気のせいよね。)

あっ、そういえば。
今、例によって、「念のため言うと、素面〈しらふ〉です」って書こうとしたのですが、そういえば、さっき風邪薬を飲んだのでした。
それで、こんな妙なテンションなのかしら。
ぬはっ。
……毒っていうか、麻薬、かもしれない。
気をつけよう、と、半ば真剣に思う、夜明け前であった。

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2006.04.01 Saturday 03:48 | comments(2) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 

風邪。

いや〜、そんなわけで、寝込んでます。
ゆえに、初めての、携帯からの更新なのだった。
で、特にネタもないという(笑)。
しかし、あれですね、風邪の時の、このぶっ倒れぶりって、何なのかしらね〜。
ほんとに文字通り「寝込む」感じ。
みなさまも、どうぞお気を付けあそばせ。
では失礼。

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2006.03.31 Friday 02:23 | comments(5) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 

皮膚病になって知った、合成洗剤と石鹸の違い

前に、このブログの「皮膚は偉大なり!」という記事の中で、「以前は肌が弱く、手指がひどく荒れて困ったが、今は大丈夫になった」という話を書いたことがあります。

それは、自分では、「たぶん一生ちゃんとは治らないんだろうな」と思っていたものなので、今、何事もなかったかのようにツルツルの手指を見ていると、とても不思議な気がします。
一種の奇跡みたいにも感じます。

それが治った原因というのは、自分としては、非常にスピリチュアルなところにあったのではないかと考えていますが、ここで書きたいのは、そのことではありません。
むしろ、当時、日常生活の中でいろいろと気をつけたりした点があり、その結果、症状が軽くなった経験があるので、それについて書きたいと思います。

肌が弱くて、荒れたり、湿疹になったりして悩んでいる人は多いと思いますが、私も経験者なので、皮膚病の辛さはよく分かります。
そうした方に、少しでも参考になればと思います。
もちろん、もしかしたら常識的なことばかりかもしれないので、「釈迦に説法」になってしまうおそれはありますが、「私の経験ではこうでした」という一例として読んで頂ければ幸いです。


え〜と、そもそも、私は子供の頃から肌が弱くて、当時は「アトピー」という言葉はまだ流行っていなかったのですが、もしかしたらアトピーだったのかもしれません。
小学生の時、毎日のように皮膚科のお医者さんに通っていましたが、単に「湿疹」ということで、塗り薬中心の治療でした。

それは、面倒くさいし、あまり楽しい経験ではありませんでしたが、まあ、そのおかげで、自分では買わない少年マンガをたくさん読むことができました。
というのも、その医院の待合室には、少女マンガが一切なかったので、ほかに選択肢はなかったのです。
記憶に残るものとしては、「三つ目が通る」とか、「ブラック・ジャック」とか。
あと、「エコエコアザラク」とか。
「ドカベン」とか。
今にして思うと、あれはあれで収穫でした。

その湿疹は、なかなか全快とはいかなかったのですが、中学生になる頃に、自分で、「もうこんなふうに毎日のように皮膚科に通うのは嫌だ!」と強く思ったのを覚えています。
その強い思いが何らかの効果を及ぼしたのかどうかは定かではありませんが、とにかく、中学に上がった頃には、いつのまにか的に、湿疹の症状はなくなっていました。
もしかしたら、やっぱりアトピーだったのかな?


その後、皮膚病の悩みというのは、しばらくは影を潜めていたのですが、高校生の頃になって、今度は、手指がひどく荒れるようになりました。
それで、皮膚科に行ってみたり、薬局で買った塗り薬を塗ったり、いろいろしましたが、それは、結局、20代後半ぐらいまで、完全に治まることはありませんでした。

皮膚科に行って薬を塗ると、少しよくなる。
で、行かなくなる。
すると、悪化する。
面倒なので、薬局の薬で済ませる。
しかし、ひどくなり、また皮膚科に行く。
そんなことを何度か繰り返しました。

最終的には、やはり、ステロイド剤が効きました。
副作用が強いそうなので、使うのに少し抵抗はありましたが、背に腹は換えられず。
やはり、他の薬とは比べものにならないぐらい、効果てきめんでした。


また、日常生活でも、肌に悪いもの、刺激になるようなものは、なるべく触れないように心掛けました。
その筆頭が、合成洗剤。
それは、洗濯の時の洗剤についてもそうですし、食器を洗う時の洗剤も、また、シャンプーなどについてもそう。

手指が荒れるようになって初めて、私は合成洗剤と石鹸の違いを知りました。
それまでは、粉状の合成洗剤のことも「粉石鹸」と呼んでいいのだと思っていました。
「粉石鹸」とは、文字通り、石鹸成分でできたもののことを呼ぶということすら、知らなかったわけです。

合成洗剤と石鹸の違いについては、詳しくは、こちらをご覧下さい。
「生活雑貨:ピュアコンセプト」石けんと合成洗剤
要は、合成洗剤は環境にも甚大な悪影響を及ぼすし、人体に対してもそうである、ということですね。

それで、私は、洗濯の時も粉石鹸(石鹸カスが出るので面倒ですが)、食器洗いも石鹸(ふきんを洗う用の石鹸をスポンジに付けて使う)、入浴時にも石鹸シャンプー(石鹸成分でできているもの)とそれ用のリンス、を使うようにしました。

ただ、問題は、職場などで合成洗剤を使わざるを得ない場合。
そういう時には、使ったあと、必ず石鹸で手を洗うようにしていました。
それは、「学生時代に中華料理店でアルバイトをしていた」という男性から教わったことなのですが、石鹸で合成洗剤の成分を洗い落とすことによって、手の荒れ具合が全然違うのです。

あとは、漂白剤なども、酸素系の、環境に優しいものを使ったり、とにかく、生活のあらゆる場面から合成洗剤を放逐しようとしたわけです。

それによって、かなり症状は軽減しました。


小学生の時の皮膚科通いは、少年マンガに精通する(ってほどでもないが)という恩恵をもたらしましたが、手指の荒れは、「合成洗剤の危険性を認識する」という学びの機会を与えてくれました。

やっぱりね〜、合成洗剤はよくないですよ。
ま、あんまり全てを石鹸にするのは、けっこう大変ではあるので、実のところ、今では、食器は石鹸ですが、洗濯には、合成洗剤の成分と石鹸成分が半々ぐらいの洗剤を使い(液状で石鹸カスが出ないから楽)、シャンプーも、一般的な、合成洗剤使用のものを使っています。
「できる範囲で、多少はましなものを使おうと心掛けてはいる、んだけど〜」という、中途半端な状態なので、偉そうなことは言えないのですが。

──何か、もっとみなさまの参考になることが書けそうな気がしていたのですが、書いてみたら、全然どうってことのないことしか書けなかった気がしてなりません……。
まあ、そんなのはきっと気のせいに違いない、と自らに言い聞かせ、明日に向かって突き進もうっと!!


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2006.02.28 Tuesday 00:44 | comments(2) | trackbacks(7) | 健康・病気・命 | 

自殺したい気持ちのあなたへ

あなたが、もし自殺したい気持ちであることを誰かに告げたなら、その誰かは、こう言うかもしれません。

そんなことぐらいで、大切な命を粗末にするな、と。

あなたは、こう思うかもしれません。

自分にとっては、「そんなことぐらい」ではないと。
どうして分かってくれないんだと。

でも、ここで問題なのは、あなたが死にたいと思う理由が「そんなことぐらい」であるかどうか、ということよりも、むしろ、あなたが「大切な命」を粗末にしようとしているわけではない、ということではないかと思うのです。

あなたにとって、自分の命は決して「大切な命」ではない、はずです。
つまり、あなた自身が自分の命を大切に思っていないところにこそ、あなたが死にたいと思ってしまう本当の理由があると私は思うのです。

あなたは、自分には生きている値打ちがないと思っているのではないでしょうか。
自分なんて、生きていようがいまいが、世界にとっては大差ないと、思っているのではないでしょうか。
自分に存在意義なんてないんだと、思っているのではないでしょうか。
むしろ、生きていることで、自分も苦しいし、周りの人も苦しめてしまうだけなら、死んでしまったほうがよっぽどいいと、思っているのではないでしょうか。

もうそうであれば、私にはあなたの気持ちがとてもよく分かります。
──というか、今書いたのは、実は自分自身の気持ち。

ここで書こうとしていることは、こんなに自己評価の低い、自分を駄目な人間だと思っている私が、なぜ、苦しみながらも生き続けることができているか、ということ。

私は、自分を駄目な人間、最低な人間だと思っているし、生きることは苦しいし、死んでしまいたくなることも、自らに、死んでしまえ!と心で罵ることも、多々ありつつ、それでも、こうしてここに在ることを、とても幸福だと感じているのです。
──矛盾があるように感じられるかもしれないが。

その幸福とは、本当の意味での深い幸福ではないと思う。
つまり、自分の存在を魂の底から肯定できているわけではないという意味において、真なる深い幸福ではないと思う。
しかし、浅い幸福でもいいのです。
苦しくてもいいのです。
生きているだけでも、素晴らしいのです。

なぜそう思うかを書きます。
なぜなら、私と同じように、自分を駄目な人間だと思っている人に、死んでほしくないから。
生き抜いてほしいから。
自分に負けてしまわないでほしいから。
私も、絶対に勝つつもりだし、勝てると思っているし、あなたにも、勝ってほしいし、あなたも、絶対に勝てると信じるから。

私が生きている理由は、一言で言うと、世界があまりにも美しいから。
自分がどんなに駄目でも、どんなに真っ暗でも、世界はこんなにも美しい姿を、惜しみなく見せてくれる。
この全てに、何の意味もないなんてことがありうるだろうか。

人間が偶然に生まれて、──自分が、偶然に、何の意味もなく生まれて、生き、そして、こんなにも美しい世界を目にしているなんてことが、ありうるだろうか。
この世界の全ては偶然の産物で、何もかも、本当は在ってもなくてもどうでもいいなんてことが、ありうるだろうか。

そうは思えない。
全てには、何らかの意味があるはず。

そう、私のような、訳の分からない最低な人間だって、その存在には何らかの意味があるはずなんだ。

その意味は分からない。
でも、その意味を分かりたい。
知りたい。
そのために、私は生きている。

以前、ある人から、こんなことを言われたことがある。

「あんた、人間のカスだ」

私はその人をひどいとは思っていない。
実際、私は自分を人間のカスだと思っている。
それでも、人間のカスはカスなりに、頑張って生きていこうと思っている。

自分には生きている値打ちなんかないと思ってしまうぐらい自己評価が低い、と書いた。
でも、心の奥底では、自分を信じている。
本当は、生きている値打ちがあるんだと信じている。
そうでなかったら、世界は私がここに在ることを許してはいないはずなんだ。

あなたもそう。
あなたに生きている値打ちがないなら、世界はあなたがそこに在ることを許してはいないはず。
あなたがそこに在ることには、それだけの意味がある。

それが何なのかを探すこと、見つけることが、生きるということなんだと思う。
そのことのために、世界は仕組まれているんだと思う。

私が、それでも幸福だと書いたのは、ここに在ることを許されていることを信じることができる、という意味において、自分を幸福だと感じる、ということ。
このブログの中でも再三書いてきた、これまでの人生で今がいちばん幸せだと感じるというのは、嘘ではない。
こんな私ではあるけれど、それでも、まだここに在ることを許されていることが、とても幸福に思えるのだ。

ここに在る、それだけでいいじゃないか。
それだけで幸せじゃないか?
生きている、そのことだけで、とてつもなく幸せなことなんじゃないか?
それは、素晴らしいことなんじゃないか?

きっと、意味がある。
あるいは、意味をつくり出していけばいい。
つまり、一人でも、人を幸せにできたら、それはすごく意味のあることじゃないか?
少しでも、誰かを助けられたら、それはそれだけで、すごく意味のあることじゃないか?
たとえ人間のカスだって、何か、人の役に立つことはできる。
それは、素晴らしいことじゃないか?

だから、苦しくても、今、幸せだと思えなくても、そのこと自体にだって、何か意味は必ずあるから、もう少しだけ、頑張って生きてみようよ。
そう言いたいのです。

それに、一つだけ大事なことを言っておくと、死んだら肉体はなくなって魂だけになるから、今の苦しみが、もっと先鋭化されてしまうそうです。
(逆に、幸福であれば、その幸福が先鋭化されるが。)
しかも、それがいつまで続くのかは、終わってみるまで分からない。

この世にあるうちは、まだ少しは気の紛れる時もある。
美しい景色を見ることも、心地よい風に吹かれることもできる。
でも、死んでしまったら、心だけになるわけだから、気を紛らわしてくれる物もなければ、真っ暗な心には、美しい景色も見えず、心地よい風も感じられない。

そんなの、つらすぎます。
あなたは、もう充分苦しんでいるんだから、これ以上、そんなかたちで今以上に苦しまないでほしい。

だから、小さくてもいいから、幸せを見つけてみませんか?
世界の美しさ、人の優しさを、感じ取ってみませんか?
感じ取れないなら、自分から、人に優しくしてみませんか?

諦めないで、頑張りましょう、一緒に。
人間は、不幸になるために生まれてきたわけではないはず。
幸せになるべき存在なのです。
だから、きっと幸せになれる。


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2006.01.08 Sunday 21:53 | comments(3) | trackbacks(0) | 健康・病気・命 | 
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